会員様からの寄稿

彫刻家 渡辺憲二


伊豆の国市在住の彫刻家渡辺憲二氏にお会いした。緑に囲まれた工房では天井から重い石を吊り上げるクレーンもあり、大理石・ブロンズ・テラコッタで制作された胸像頭像の彫刻作品が印象的だった。
憲二氏は15歳で洗礼を受けている。なりたい自分になると決心して生きていた人だった。「デッサンしている時は神様を感じる瞬間」と話すていねいな話しぶり。クリスチャンの目で観る美術。49歳で結婚し現在52歳。人との係わりの中で生きていることへの感謝の言葉が溢れていた。こんな風に感謝の言葉を話すアーティストに出会ったのははじめてで・・魂が生きていると感じて私は涙が流れた。 
1996年自費留学してフィレンツェで彫刻。ウィーンで絵画、建築装飾を研究。パオリ大理石工房(ピエトラサンタ)。イーヴォ・カッチャ青銅鋳造所(ピエトラサンタ)。イーヴォ・ポーリテラコッタ工房(ピエトラサンタ)。ラスタンペリア銅版画工房(サンジミニャーノ)。フォルナイーニ・フレスコ画工房(ピサ)。こうした多くの工房での履歴は驚きだ。でもイタリアでは貸し工房があり、そこでの体験の履歴。工房に職人がいてそこでアーティストを支え作品が出来上がる。彫刻家に必要な星取り機も見せていただいた。原形の上に基準となる点を打ち、それと同じところに制作するものの上に点を付け無数の点を繋ぐことで複雑な形を再現する道具である。アーティストのオリジナルを模刻して作品にするとき、内側から外へ向かう力強い力まではなかなか写し取れない難しさがあるとのことだった。静岡県立美術館のロダン館にあるロダンの大理石の作品達も星取り機を用いて職人たちが模刻したものである。
 ミラノの修道院宿舎に泊まった翌日、隣接する聖フランチェスコ教会のミサに参列しながら祭壇を眺めていたときのこと。光で壁に浮かびあがっ天使の羽影を見て・・聖なる影を意識した作品をこれからも制作していきたいと語った。
私は今まで静岡県と関係ある作家さん40人程にお会いし、県立美術館友の会会報誌「プロムナード アトリエ訪問」に16人の取材記事を書かせてもらっている。様々な発想やこだわりを伺って感銘を受けた体験は本当に宝物であると思う。渡辺憲二氏にも感謝だ。
別れ際工房の裏の柿の大木に若葉が瑞々しく美しく広がっていた。



  


2020年05月22日 Posted by 県美友の会 at 15:08トピックス

5月12日(火)美術館再開いたします

新型コロナウィルス感染症の防止に向けた「緊急事態宣言」を受け4月18日(土)から
臨時休館していましたが5月12日(火)より再開することになりました。
友の会会員の皆様にはご迷惑おかけいたしました。

来館の際は感染症対策に十分注意してください。

ステイホームでなかなか外出できない日々が続いていますが、
GWの間オンライン通話で久しぶりに友達と話をしました。
家事をしながら食事をしながら自由にできてとても楽しく便利だなぁと感じました。
そんな今どきとはまた違い昨日別の友達から手紙も届きました。
友の会の会員方からも事務局にお手紙をいただくことがあります。
美術館の絵葉書や素敵な便せんでいただくことも多いです。
いただく私もこんな美術館に行ったんだなぁとか達筆な文字だなぁなんて
思いなが拝読しています。
時間があるこんな時だからこそできることって意外にありますよね。



  


2020年05月12日 Posted by 県美友の会 at 09:59トピックス

会員様からの寄稿

鷹を手に
放たれた鷹が近づいてくる。勿論覚悟はしている。でも皮の手袋をはめた右手はしっかり伸ばしていても思わず目をつぶってしまった。するとふんわりとやさしい重みを感じた。そっと目を開けると鷹が私の手にすでに乗っていた。眼光は鋭いが静かにしていた。鷹はそれまで怖いと思っていたが、なんだかこそばゆい嬉しさだった。
その体験をしたのは静岡県担当の国民文化祭の年で10年前のこと。地元のまつりのイベント広場で鷹匠を呼んでその技を見せる情報があった。絶対行きたいと思った。
イベント広場に着くと、鷹匠が高草山の方へ鷹を飛ばしていた。鷹は山の上を飛行し、しばらくすると鷹匠の元に戻ってきた。鷹の習性のことは知らないが獲物を見つける訓練かもと思った。それからイベントが始まったのだ。鷹匠同士が離れて向かい合い、一人は餌の肉を隠し持ち、手袋をした手を横に出していた。赤い色の肉が私の目にもはっきり見えた。もう一人が鷹を放つ。高く飛ぶと思っていたのにすーっと低く飛んで相手の鷹匠に一直線だった。餌は鷹がついばんでいた。
江戸時代の通信使は鷹を徳川への贈り物として50居(もと・・鷹を数える単位)持参している。途中で死亡することも珍しくなかったので、予備で多く連れてきたのだ。1居につき1日に鶉3羽、雀12羽、鳩大1羽半小2羽の食事。
家康は鷹が好きで駿府公園に鷹を手にしている銅像があり、公園の近くに鷹匠という地名も残っている。家康は天下統一を成し遂げた後、鷹の売買を禁止し、鷹狩りを権威の象徴にした。鷹狩りと称しての領地視察もしている。野生の鷹を飼い馴らすには根気と技術も必要だった。贈り物で貰った鷹は本当に嬉しかったと思う。当時鷹は奥羽諸藩、松前藩(北海道)で捕らえられたものと朝鮮半島のものが上物とされていた。松前藩では藩の収入の半分近くは鷹の売り上げによるものだったらしい。巣山(愛知県)や巣高山(尾張藩)の名は狩猟や入山を禁じて鷹の繁殖をはかるための名前として残っている。
初夢にみると縁起が良いとされた鷹。家康は1612年に鷹狩りで手に入れた鶴を朝廷に献上している。白鳥の肉と同様高級食材で、鷹狩りでは鶴をたくさん捕らえている。


  


2020年05月12日 Posted by 県美友の会 at 09:31トピックス