会員様からの寄稿

歴史家磯田道史氏講演会
  


講演会『掛川で歴史を語る』に出かけた。会場は愛称「シオーネ」。潮+音をイメージした施設。初めて行く文化会館だったが田舎道をくねくねと曲がりながら走ると、本当にたどり着けるのか心配になる場所だった。
講師は国際日本文化研究センター准教授磯田氏で人気がある。講演チケットは600席が即完売。知り合いが申し込んだが完売だと言われて残念がっていた。
掛川の歴史と言えば戦国時代から江戸時代にかけて重要な役割を果たした難航不落の高天神城跡と江戸の華横須賀城跡。きっとその話だと密かに期待していた。
 講演がはじまって開口一番「僕は高天神城にまだ登っていないんですよ」と磯田氏が恐縮して話しはじめた。高天神城址に登っていない・・素直だが、それで「掛川の歴史を語る」とタイトルをつけたのは詐欺?じゃないのかと私は思った。
話しの中心は南海トラフの津波の事だった。磯田氏が古文書を読み解き過去の津波の高さを推測した話だ。藤枝に住む私にも他人事ではない南海トラフ津波のことだ。揺れの時間は200秒。津波の高さは超巨大津波10㍍・巨大津波6㍍・大波3㍍。だから講演会のある場所は決して安心できる場所ではない。揺れがおさまったらすぐ高い山に走るのが大切だと力説していた。古文書を読み解いた磯田氏の津波の話はリアリティーがあった。
私が高天神城に登ったのは2009年11月。静岡県が国民文化祭担当県になった時だ。舞踏家田中泯が本丸跡で踊るという情報が入り出かけたのだ。山道を登っていると「ぞくぞくするね」と周りでしゃべっていた。徳川家康軍に殺された沢山の兵士の霊を感じる人がいるようだ。舞台はつい最近まで丈が1㍍程の雑草のように生えた細い竹を刈り取った地面の上。私達はその一角を取り囲んで座った。そして裸足の田中泯が伏せたり、のたうちまわったり踊りはじめた。戦いの兵の心を私達に伝えようとしているのか・・。踊る地面はまだ緑の色を残した3㍉程の小さな細い竹の切口がいたるところに生えている。着物が乱れた。裸足が竹の尖がったところで血だらけにならないか心配した。でも最後までそんな血も流れなく踊りきったことも魔法のようだった。息を呑んで生まれて始めて観た舞踏だった。忘れられない衝撃だ。  
そんな高天神城跡の歴史を磯田氏の話で聞いてみたかった私だったのに。
  


2020年06月30日 Posted by 県美友の会 at 10:40トピックス