友の会「座談会」-元学芸員の目で見た県立美術館-
会員様から
やぶきた原樹

静岡県立美術館の直ぐ近くに「杉山彦三郎の原樹」がある。県立美術館に向かうプロムナードのそばである。美術館ボランティアがお茶摘みをして、美術館の企画展のオープニングの時に、館の前で飲ませていただいたことがある。まったりおいしい味のやぶきた品種のお茶だった。
現在、日本のお茶の樹の80%は「やぶきた」と呼ばれる品種である。その品種は安倍郡有度村で生まれた杉山彦三郎が人生をかけて品種改良をしたものだ。
あるとき「やぶきたがあるんならやぶみなみもあるんじゃない?」と友人の何気ない言葉に・・う?固まった私だった。今まで一度も聞いたことが無かったけど、無いとも言えないし・・。
資料探しをすると・・何と言うことでしょう。あったんだ!
明治41年(1908)谷田の試験場に隣接する竹藪を開墾して植えた茶の樹の中に優秀なものを見出した彦三郎。その中から2本を選び、藪の北側にあったものを「やぶきた」南側にあったものを「やぶみなみ」と呼んだと文献に。やぶきたが選ばれて良かった。発音すると力強く感じる。やぶみなみだと発音がちょっと悪いとやぶにらみになっちゃうし。美味しさが伝割らないし。
静岡県立美術館の直ぐ近くに「杉山彦三郎の原樹」がある。県立美術館に向かうプロムナードのそばである。美術館ボランティアがお茶摘みをして、美術館の企画展のオープニングの時に、館の前で飲ませていただいたことがある。まったりおいしい味のやぶきた品種のお茶だった。
現在、日本のお茶の樹の80%は「やぶきた」と呼ばれる品種である。その品種は安倍郡有度村で生まれた杉山彦三郎が人生をかけて品種改良をしたものだ。
あるとき「やぶきたがあるんならやぶみなみもあるんじゃない?」と友人の何気ない言葉に・・う?固まった私だった。今まで一度も聞いたことが無かったけど、無いとも言えないし・・。
資料探しをすると・・何と言うことでしょう。あったんだ!
明治41年(1908)谷田の試験場に隣接する竹藪を開墾して植えた茶の樹の中に優秀なものを見出した彦三郎。その中から2本を選び、藪の北側にあったものを「やぶきた」南側にあったものを「やぶみなみ」と呼んだと文献に。やぶきたが選ばれて良かった。発音すると力強く感じる。やぶみなみだと発音がちょっと悪いとやぶにらみになっちゃうし。美味しさが伝割らないし。
会員様から
ミュシャの作品収集家
尾形寿行氏語る
「ミュシャ展 運命の女たち」コレクターの尾形寿行氏のトークイベントがあった。参加申し込みをして合格の知らせで出かけてみた。プレミアムフライデーにあわせた企画で、若い人達が多かった。
尾形さんはミュシャ作品の世界的コレクター故土居君雄氏が創業した「カメラのドイ」の関連会社元社員。ドイツに住みながら、土居氏の収集を手伝う中でミュシャの作品に心惹かれた方だった。ミュシャの子息ジリ・ミュシャ氏とも親交を深めていた。
オークションで土居氏の指示で億の買い物をするプレッシャーを話していた。オークションの落札は他のコレクターとの駆け引きもあるのだが「落札せよ」の指示は大変だったのだろう。競争相手を諦めさせるために目立つ席に座り大きく手を上げ続けたとのこと。作品を落とす醍醐味を体験できた人。格好良すぎる。頼まれての落札でも自腹での落札でもせり落としたときの醍醐味は格別らしい。
講演が終わると客席の女の人が「神戸の骨董店で見つけて、3000円位で買ったものですが・・・」とブリキの箱を尾形氏に見てもらっていた。私も偶然そこにいたので覗かせてもらった。箱は既に錆びていたが、おもての蓋はミュシャの絵がプリントされていた。「アメリカ製でチョコレートが入ったお菓子箱。その値段の10倍はしますよ」と尾形氏。
尾形さんとはミュシャ展の最終日に会場で個人的にお会いした。ミュシャコレクターとしては数だけでいうと尾形さんが日本で1番。作品数が1200点。そのうち葉書が600枚。「でも金額的には土居さんには遠く及ばない。土居さんは500点の数だが、1点で1億の金額のものがあるから。でもその作品は僕がオークションで落としたもの」と身をのりだした。「尾形さんの目玉作品は?」と聞くと「作品 黄昏(習作)カラーリトグラフ が僕の目玉で、1000万位」と嬉しそう。
2017年のスラブ叙事詩 東京国立新美術館の企画ではNHK・美術館の人と一緒に勿論携わった。卵テンペラと油絵の具で描かれているので、丸めて運ばれてきた。大きい作品なので、船の帆布に描いてあって、広げればフレームにロープでくくれば大丈夫に制作されていたという。トップのコレクターとして精力的にミュシャの広報をしている。
ドイツに40年住んでドイツ語で生活してきた。今静岡の町で日本語で生活しているということも何となく感慨深げな様子だった。
尾形寿行氏語る
「ミュシャ展 運命の女たち」コレクターの尾形寿行氏のトークイベントがあった。参加申し込みをして合格の知らせで出かけてみた。プレミアムフライデーにあわせた企画で、若い人達が多かった。
尾形さんはミュシャ作品の世界的コレクター故土居君雄氏が創業した「カメラのドイ」の関連会社元社員。ドイツに住みながら、土居氏の収集を手伝う中でミュシャの作品に心惹かれた方だった。ミュシャの子息ジリ・ミュシャ氏とも親交を深めていた。
オークションで土居氏の指示で億の買い物をするプレッシャーを話していた。オークションの落札は他のコレクターとの駆け引きもあるのだが「落札せよ」の指示は大変だったのだろう。競争相手を諦めさせるために目立つ席に座り大きく手を上げ続けたとのこと。作品を落とす醍醐味を体験できた人。格好良すぎる。頼まれての落札でも自腹での落札でもせり落としたときの醍醐味は格別らしい。
講演が終わると客席の女の人が「神戸の骨董店で見つけて、3000円位で買ったものですが・・・」とブリキの箱を尾形氏に見てもらっていた。私も偶然そこにいたので覗かせてもらった。箱は既に錆びていたが、おもての蓋はミュシャの絵がプリントされていた。「アメリカ製でチョコレートが入ったお菓子箱。その値段の10倍はしますよ」と尾形氏。
尾形さんとはミュシャ展の最終日に会場で個人的にお会いした。ミュシャコレクターとしては数だけでいうと尾形さんが日本で1番。作品数が1200点。そのうち葉書が600枚。「でも金額的には土居さんには遠く及ばない。土居さんは500点の数だが、1点で1億の金額のものがあるから。でもその作品は僕がオークションで落としたもの」と身をのりだした。「尾形さんの目玉作品は?」と聞くと「作品 黄昏(習作)カラーリトグラフ が僕の目玉で、1000万位」と嬉しそう。
2017年のスラブ叙事詩 東京国立新美術館の企画ではNHK・美術館の人と一緒に勿論携わった。卵テンペラと油絵の具で描かれているので、丸めて運ばれてきた。大きい作品なので、船の帆布に描いてあって、広げればフレームにロープでくくれば大丈夫に制作されていたという。トップのコレクターとして精力的にミュシャの広報をしている。
ドイツに40年住んでドイツ語で生活してきた。今静岡の町で日本語で生活しているということも何となく感慨深げな様子だった。
会員様から
ミホミュージアム

滋賀県甲賀市信楽町桃谷にある桃源郷のような美術館に出かけた。地名が桃谷であったことも吃驚だ。トンネルを抜けると本当に美の郷にたどり着いた。「赤と青のひ・み・つ」聖なる色のミステリー企画展をやっていた。
昔は「色」を何かに施すことは、自然のエネルギーでの呪術で、象徴的な意味を加えることだった。「赤」と「青」はいずれも古代世界においては信仰と結びつき「聖なる色」ととらえられているとパンフレットに書かれていた。人々が昔から「色」とどのように関わってきたか”色のエネルギー”を心で感じとってほしいとの企画だった。「赤」では伊藤若冲の「達磨図」。江戸時代・18世紀。修復で明らかになった裏彩色の真っ赤な僧衣。若冲は高価な天然顔料を贅沢に使っているとのことでまさしく入魂の赤。凄い迫力があった。「青」では碧青釉茶碗 イラン・グルガン出土11世紀 や 七星文瑠璃杯 中国前4前3 のガラスとは思えない作品が心に残った。赤と青は対極の色。でも基本的に私は両方が好き。洋服は藍染の青系。そしてアクセサリーは赤。このバランスが好き。弟を亡くした時、赤い珊瑚のブレスレットを手に入れた。赤は私にエネルギーをくれていることに気がついた。とっても有難かった。心から赤い色に感謝したことを思い出す。
ミホミュージアムは去年5月にルイ・ビトンが華やかなファッションショーをしたことで話題になっていた。トンネル・ブリッジ・美術館入り口と続く400メートルのランウェイを50数名のモデルが歩くショーだった。500人のスタッフが支えたらしい。館のエデュケーター佐藤さんでもショーを見ることができなかった関係者のみのショーだったとのこと。
館に入ってすぐ天井のルーバーが目に入った。館はルーブル美術館のガラスの館を手がけたI.M.ペイ氏の設計。ガラスで覆われているのに何故か森の木陰にいるようなイメージに出来ていた。「アルミに木彫りのラミネートカバーを被せていることで生み出されたやさしさです」と佐藤さん。また床のライムストーンはフランス産で海底から隆起した石をつかっていた。柔らかい色彩だった。
ワークショップ「ミラクルペイント」コーナーでは顔や腕にドローイングを楽しんでいる人がいた。私も赤と青をブレスレット風に腕に描いてみた。ゴム素材で発色の綺麗な絵の具みたい柔らかさだった。
滋賀県甲賀市信楽町桃谷にある桃源郷のような美術館に出かけた。地名が桃谷であったことも吃驚だ。トンネルを抜けると本当に美の郷にたどり着いた。「赤と青のひ・み・つ」聖なる色のミステリー企画展をやっていた。
昔は「色」を何かに施すことは、自然のエネルギーでの呪術で、象徴的な意味を加えることだった。「赤」と「青」はいずれも古代世界においては信仰と結びつき「聖なる色」ととらえられているとパンフレットに書かれていた。人々が昔から「色」とどのように関わってきたか”色のエネルギー”を心で感じとってほしいとの企画だった。「赤」では伊藤若冲の「達磨図」。江戸時代・18世紀。修復で明らかになった裏彩色の真っ赤な僧衣。若冲は高価な天然顔料を贅沢に使っているとのことでまさしく入魂の赤。凄い迫力があった。「青」では碧青釉茶碗 イラン・グルガン出土11世紀 や 七星文瑠璃杯 中国前4前3 のガラスとは思えない作品が心に残った。赤と青は対極の色。でも基本的に私は両方が好き。洋服は藍染の青系。そしてアクセサリーは赤。このバランスが好き。弟を亡くした時、赤い珊瑚のブレスレットを手に入れた。赤は私にエネルギーをくれていることに気がついた。とっても有難かった。心から赤い色に感謝したことを思い出す。
ミホミュージアムは去年5月にルイ・ビトンが華やかなファッションショーをしたことで話題になっていた。トンネル・ブリッジ・美術館入り口と続く400メートルのランウェイを50数名のモデルが歩くショーだった。500人のスタッフが支えたらしい。館のエデュケーター佐藤さんでもショーを見ることができなかった関係者のみのショーだったとのこと。
館に入ってすぐ天井のルーバーが目に入った。館はルーブル美術館のガラスの館を手がけたI.M.ペイ氏の設計。ガラスで覆われているのに何故か森の木陰にいるようなイメージに出来ていた。「アルミに木彫りのラミネートカバーを被せていることで生み出されたやさしさです」と佐藤さん。また床のライムストーンはフランス産で海底から隆起した石をつかっていた。柔らかい色彩だった。
ワークショップ「ミラクルペイント」コーナーでは顔や腕にドローイングを楽しんでいる人がいた。私も赤と青をブレスレット風に腕に描いてみた。ゴム素材で発色の綺麗な絵の具みたい柔らかさだった。
お知らせ
会員様から
静岡県立美術館作品 美ヶ原美術館作品
美ケ原高原美術館
まつむしそうと風化儀式 鈴木久雄
薄紫で美しいマツムシソウを見たのは長野県上田市にある美ケ原美術館の彫刻群の歩く道のそこここである。やさしい形に彫刻のフォルムとの対比でバランスが良かった。もう夏も終わるという高原の澄んだ空気にとても似合う色である。たくさんの彫刻の中に見知った「風化儀式」の石の彫刻を偶然見かけ、ここにもあるんだと嬉しかった。美ケ原美術館でみつけた作品は鈴木久雄氏のもので、静岡県立美術館のプロムナードにも「風化儀式Ⅴ」の彫刻がある。静岡県美のタイトルの風化の意味するものは・・・・作品がクレーンで降ろされた時から自然の中で風化が始まり、ワイヤーロープからの錆が白い御影石の彫刻に浸みて、それがどのように変化していくのか・・そして白御影石とコールテン鋼板を締め付けている12ミリのワイヤーロープが30年程で切れるはずだという作品である。県立美術館の学芸員さんの話だと「石と石の間に草が生えたら抜かないでそのままにして下さいと言ってました」と聞いたことがあった。そのとき私は屋外彫刻というものの面白さの一端を知ったし・・・劣化・風化した作品制作そのものを現代美術として発表している作家の存在も知った。風化儀式の作品はその意味で身近に感じた。
作品の風化が始まってすでに30年は経った。ここ県美の作品はまだワイヤーロープは切れていない。「彫刻というものはアウトラインの内側に作品の意図があるべきだと思う」と語った鈴木氏。風化してロープが切れたときにそうだったのかと解かる作品なんだろうと考えた。
*マツムシソウと言う名前はマツムシが鳴く季節に咲くからつけられた名前なんだと知った
会員様から
パイプオルガン

<静岡音楽館AOIのパイプオルガン>
浜松市天竜区龍山町瀬尻に森林文化会館がある。ここにパイプオルガンがあり、夏休みだったので子供達のピアノ発表会を兼ねてパイプオルガン演奏を聴くイベント体験をした。習い事のピアノの発表会を、自宅から100キロほど離れた場所で実施する先生の元気さに納得するのはちょっと大変だったけど・・参加を決心した。子供が中学生の時だから、ずいぶん前だ。岡部の自宅から浜松までたどり着き、その後天竜川を右に見て上流にくねくねと走った。なかなかの道のりだった。川の両側の森林の緑に新鮮な驚きを感じながらの運転だった。生まれて初めて聴いたパイプオルガンの音。山間の静かな空間の中での体験は心に残っている。
次にパイプオルガンの曲を聴いたのは、静岡駅前にある静岡音楽館1995年に出来たホールで、館のボランティアを長いことさせていただいたのでその間に聴いた。でもパイプオルガンは私のイメージではそんなに身近に感じてはいなかった。
「静岡・音楽館×科学館×美術館共同事業・生涯学習センター連携事業」の企画で『パイプオルガンのしくみ』という講座があり、参加することにした。
トッカータとフーガ二短調BWVの曲が流れ、「どんな感じがする?」と質問があった。勿論パイプオルガンの音色は重みがあり安らぎも感じる。パイプオルガンにはフルー管やリード管があり、模型の形を見せてもらった。勿論音も。音の違いは勿論はっきり解かったが、静岡音楽館のパイプは大小あわせて2868本もあるとのことだった。それだけでも凄く身近に感じた。フランスのストラスブールにあるケルン社でつくられ、ストラスブールのサン=トーマ教会の楽器がモデルとのことだった。
途中で『ホイッスルを作ってみよう』のワークショップがあり、少し厚い紙が配られた。折りたたむ+先を丸める作業をして口に付け息を吹くと・・紙でできていても綺麗な大きな音が出た。びっくりぽんだ。理論は簡単だったが、紙でできることに感動した。
ハプニングが起きたとき、遠くの人に音で知らせる方法に利用できるかもしれないと思った
<静岡音楽館AOIのパイプオルガン>
浜松市天竜区龍山町瀬尻に森林文化会館がある。ここにパイプオルガンがあり、夏休みだったので子供達のピアノ発表会を兼ねてパイプオルガン演奏を聴くイベント体験をした。習い事のピアノの発表会を、自宅から100キロほど離れた場所で実施する先生の元気さに納得するのはちょっと大変だったけど・・参加を決心した。子供が中学生の時だから、ずいぶん前だ。岡部の自宅から浜松までたどり着き、その後天竜川を右に見て上流にくねくねと走った。なかなかの道のりだった。川の両側の森林の緑に新鮮な驚きを感じながらの運転だった。生まれて初めて聴いたパイプオルガンの音。山間の静かな空間の中での体験は心に残っている。
次にパイプオルガンの曲を聴いたのは、静岡駅前にある静岡音楽館1995年に出来たホールで、館のボランティアを長いことさせていただいたのでその間に聴いた。でもパイプオルガンは私のイメージではそんなに身近に感じてはいなかった。
「静岡・音楽館×科学館×美術館共同事業・生涯学習センター連携事業」の企画で『パイプオルガンのしくみ』という講座があり、参加することにした。
トッカータとフーガ二短調BWVの曲が流れ、「どんな感じがする?」と質問があった。勿論パイプオルガンの音色は重みがあり安らぎも感じる。パイプオルガンにはフルー管やリード管があり、模型の形を見せてもらった。勿論音も。音の違いは勿論はっきり解かったが、静岡音楽館のパイプは大小あわせて2868本もあるとのことだった。それだけでも凄く身近に感じた。フランスのストラスブールにあるケルン社でつくられ、ストラスブールのサン=トーマ教会の楽器がモデルとのことだった。
途中で『ホイッスルを作ってみよう』のワークショップがあり、少し厚い紙が配られた。折りたたむ+先を丸める作業をして口に付け息を吹くと・・紙でできていても綺麗な大きな音が出た。びっくりぽんだ。理論は簡単だったが、紙でできることに感動した。
ハプニングが起きたとき、遠くの人に音で知らせる方法に利用できるかもしれないと思った
友の会フロアレクチャー
7/28(土)「安野光雅ふしぎな絵本展」友の会レクチャーレポート
担当の三谷学芸課長「この絵の不思議なところはどこでしょう?」参加者「本がプールになっている」「ほかには?」「…」
小人たちがほんのプールに飛び込む様子をコミカルに描いているねと何げなく通り過ぎそうな絵に少し近づいていると……なるほど二次元の絵だからこその、奥行きを上下の位置関係で描き出すトリックがありました。
また、ABCの本…Aで始まる言葉はAnvi金床?日本人にはなじみがないけど英語圏の人のアドヴァイスとか。ねじれたアルファベットたちはその文字がイニシァルの植物や動物の額縁に囲まれて…と不思議な絵本には幾重にも不思議が重ねられていて、絵を読む楽しさを堪能できました。
会場を出るとミュージャムショップに人だかり。「見つけきれなかった動物をじっくり探そうと『もりのえほん』を買って行かれる親子が多いんですよ」とのことでした。

担当の三谷学芸課長「この絵の不思議なところはどこでしょう?」参加者「本がプールになっている」「ほかには?」「…」
小人たちがほんのプールに飛び込む様子をコミカルに描いているねと何げなく通り過ぎそうな絵に少し近づいていると……なるほど二次元の絵だからこその、奥行きを上下の位置関係で描き出すトリックがありました。
また、ABCの本…Aで始まる言葉はAnvi金床?日本人にはなじみがないけど英語圏の人のアドヴァイスとか。ねじれたアルファベットたちはその文字がイニシァルの植物や動物の額縁に囲まれて…と不思議な絵本には幾重にも不思議が重ねられていて、絵を読む楽しさを堪能できました。
会場を出るとミュージャムショップに人だかり。「見つけきれなかった動物をじっくり探そうと『もりのえほん』を買って行かれる親子が多いんですよ」とのことでした。
会員様から
しまうま
美ヶ原高原美術館

コンプレックスを原動力に制作してきた。と語る造形作家柴田美千里さん。『しまうま』の後ろ姿が美ヶ原高原の中で立っている写真に出会ったのは3年前。良く見ると、しまうまの尻尾が無い。でも尻尾の無いしまうまのお尻は綺麗で美しかった。まったくありえない光景は面白かった。筑波大学総合造形の卒業制作の発展系らしい。
大学時代はイメージがやっと形になっていただけと語る。作品達を形にするまではどんな大変なことが・・と思う。卒業後に仕事で得た造形方法と材料選びで作品が強くなった。勿論機械設計のご主人の協力も。
野外展示が好きなのは動物シリーズでモチーフそのものが野外にいるから。立体の現実性にのりたいと思っていると語った。きりんもある。とらも。「私たちは何故作品を造るのか。解かっているようで解かっていない。それが何を意味しているのかと言うことより、何故その行為を行うかに興味がある。第14回縄文コンテンポラリー展ふなばしに参加したときのこと。ビデオフィードバック映像作家の山内啓司氏がカメラの角度を黄金比に傾けてみたら・・火炎土器あるいは生命現象の模様に似たものが出来た。アートが先にあったんだ。だからアートが必要なんだと思った」と語る。先陣をきる人が好き。フロンティア精神が好き。
「きまぐれに制作します。楽しみましょう」と語る柔らかい思考が、またありえない世界を見つけていくのか・・と思った。

美ヶ原高原美術館
コンプレックスを原動力に制作してきた。と語る造形作家柴田美千里さん。『しまうま』の後ろ姿が美ヶ原高原の中で立っている写真に出会ったのは3年前。良く見ると、しまうまの尻尾が無い。でも尻尾の無いしまうまのお尻は綺麗で美しかった。まったくありえない光景は面白かった。筑波大学総合造形の卒業制作の発展系らしい。
大学時代はイメージがやっと形になっていただけと語る。作品達を形にするまではどんな大変なことが・・と思う。卒業後に仕事で得た造形方法と材料選びで作品が強くなった。勿論機械設計のご主人の協力も。
野外展示が好きなのは動物シリーズでモチーフそのものが野外にいるから。立体の現実性にのりたいと思っていると語った。きりんもある。とらも。「私たちは何故作品を造るのか。解かっているようで解かっていない。それが何を意味しているのかと言うことより、何故その行為を行うかに興味がある。第14回縄文コンテンポラリー展ふなばしに参加したときのこと。ビデオフィードバック映像作家の山内啓司氏がカメラの角度を黄金比に傾けてみたら・・火炎土器あるいは生命現象の模様に似たものが出来た。アートが先にあったんだ。だからアートが必要なんだと思った」と語る。先陣をきる人が好き。フロンティア精神が好き。
「きまぐれに制作します。楽しみましょう」と語る柔らかい思考が、またありえない世界を見つけていくのか・・と思った。
会員様から
北斎 小布施
「何と言っても1999年ライフ誌が選定した「この1000年で最も重要な功績を残した人物100人」で、日本人で名を刻んだのは葛飾北斎ただ1人・・・」と熱く語る友人がいた。小布施に行って感動したらしい。
北斎は1842年83歳で小布施に行った。江戸時代には勿論車もホテル無く、食べ物屋さんも少なかった道を歩いてだ。彼を動かした情熱は何なんだろうと、私もその小布施の北斎館に出かけてみた。小布施町は半径2㌔の中にむすべての集落が入る、長野で1番小さな町。千曲川と松川の合流する地点にあり、2つの川が合う「逢う瀬」が→「小布施」となったらしい。館はモダンに出来ていたが、肉筆画展で、北斎らしくて感動と言うよりは、作品が小さすぎて、また当時のお金持ちの以来の要請に応えたものであったので、期待して行った私は感動できなかった。
北斎は1760~1849年の間に何と3万点を超える作品を制作した天才だ。
北斎は有名で「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」「山下自雨」の作品だけは知っている。波頭が崩れるときの感動的な美しい波の表現で有名な「神奈川」沖浪裏」は以前テレビ番組で本物の波が崩れるところをハイスピードカメラで撮影したら、何と言うことでしよう!崩れるさまはぴったり同じだったと放送していたことを覚えている。ということは、北斎は動体視力の持ち主?だったということか?。と当時の私は思ったのだった。
娘阿栄(おえい)と北斎のNHKドラマを見たことがある。あまりの映像の美しさと宮崎葵演じる娘の掛け合いに引き込まれた。阿栄には興味を持ったが、映像からは北斎大好きと結びつかなかった。
北斎・・すみだ北斎美術館が2年前の秋にオープンしたときワクワクして出かけている。超モダンな建物だった。たくさん入り口で待って並んでいた。入るのにはちょっと狭い入り口。エレベーターで3階に行った。北斎は墨田区亀沢で生まれ、何回も引越しした人だった。90年の生涯をほとんど墨田区内で過ごしたことで、墨田区の地元の人達の寄付も含めて出来た公立美術館だったのだ。
天才だけど知っていると言えるほど程知ってはいないが新鮮な構図、卓抜のの描写、当時流行のべろ藍を使った美しい色彩は心に残った。
ドビッシーが1905年発表した「海」の曲がある。スコアの表紙に、北斎の「神奈川沖浪裏」を模倣して波だけをちょっと不器用に真似した作品が載っている。19世紀パリ万博の展示をきっかけにジャポニズムが流行し、詩的インスピレーションを受けて作曲したのだ。ドビッシーの肖像写真の後ろの壁に北斎の版画が映りこんでいて「音楽家でなかったら船乗りになっていただろう」と語っているので波は心の宝物だったと思う。ドビッシーの海の曲を聴きながら三曲目の「風と海との対話」のダイナミックな音を楽しんだ。

「何と言っても1999年ライフ誌が選定した「この1000年で最も重要な功績を残した人物100人」で、日本人で名を刻んだのは葛飾北斎ただ1人・・・」と熱く語る友人がいた。小布施に行って感動したらしい。
北斎は1842年83歳で小布施に行った。江戸時代には勿論車もホテル無く、食べ物屋さんも少なかった道を歩いてだ。彼を動かした情熱は何なんだろうと、私もその小布施の北斎館に出かけてみた。小布施町は半径2㌔の中にむすべての集落が入る、長野で1番小さな町。千曲川と松川の合流する地点にあり、2つの川が合う「逢う瀬」が→「小布施」となったらしい。館はモダンに出来ていたが、肉筆画展で、北斎らしくて感動と言うよりは、作品が小さすぎて、また当時のお金持ちの以来の要請に応えたものであったので、期待して行った私は感動できなかった。
北斎は1760~1849年の間に何と3万点を超える作品を制作した天才だ。
北斎は有名で「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」「山下自雨」の作品だけは知っている。波頭が崩れるときの感動的な美しい波の表現で有名な「神奈川」沖浪裏」は以前テレビ番組で本物の波が崩れるところをハイスピードカメラで撮影したら、何と言うことでしよう!崩れるさまはぴったり同じだったと放送していたことを覚えている。ということは、北斎は動体視力の持ち主?だったということか?。と当時の私は思ったのだった。
娘阿栄(おえい)と北斎のNHKドラマを見たことがある。あまりの映像の美しさと宮崎葵演じる娘の掛け合いに引き込まれた。阿栄には興味を持ったが、映像からは北斎大好きと結びつかなかった。
北斎・・すみだ北斎美術館が2年前の秋にオープンしたときワクワクして出かけている。超モダンな建物だった。たくさん入り口で待って並んでいた。入るのにはちょっと狭い入り口。エレベーターで3階に行った。北斎は墨田区亀沢で生まれ、何回も引越しした人だった。90年の生涯をほとんど墨田区内で過ごしたことで、墨田区の地元の人達の寄付も含めて出来た公立美術館だったのだ。
天才だけど知っていると言えるほど程知ってはいないが新鮮な構図、卓抜のの描写、当時流行のべろ藍を使った美しい色彩は心に残った。
ドビッシーが1905年発表した「海」の曲がある。スコアの表紙に、北斎の「神奈川沖浪裏」を模倣して波だけをちょっと不器用に真似した作品が載っている。19世紀パリ万博の展示をきっかけにジャポニズムが流行し、詩的インスピレーションを受けて作曲したのだ。ドビッシーの肖像写真の後ろの壁に北斎の版画が映りこんでいて「音楽家でなかったら船乗りになっていただろう」と語っているので波は心の宝物だったと思う。ドビッシーの海の曲を聴きながら三曲目の「風と海との対話」のダイナミックな音を楽しんだ。