会員様から
ジャコメッティ展 2007.10.14~12.24 豊田美術館に
静岡県立美術館の館蔵品でブロンズ「横たわる女」(1929年)がある。今回豊田美術館の展覧会にでかけ、エレベーターで3fに行き2つめの部屋でそれを見つけたときはちょっと懐かしいような気持ちになった。今回の展示数は全部で130はあった中の一つである。私はジャコメッティの作品が何故か本能的に大好きで、あの削ぎ落とされた指のタッチの残る像をすごく身近に感じる自分がいる。
昔、私がまだ学生時代に彫刻のモデルをしたことがあった。モデルと言うとすぐ裸婦を想像されてしまうが、残念ながらそんなにスタイルは良いほうじゃなかったので、首から上のモデルだった。大学の彫刻家の卵が作品制作授業のためのモデルだったのだ。部屋の中央に座り、動かないでいることが要求された。そのとき知り合った先輩がその後卒業制作でジャコメッティ風の像をつくっていた。ひと目で気に入り、わがままを言って卒業時にプレゼントしてもらった。その時はまだジャコメッティの名前も知らない私だった。その後美術雑誌でジャコメッティを知ったとき、先輩は時代の先端を行く才能ある人だと感心していたのに、実は真似であったことを知った。でもジャコメッティは私のお気に入りになった。ジャコメッティ (1901-1966) が亡くなってからまだ10年もたっていなかった。
美術手帳の特集「彫刻」ってなんだろう? 2006 ではスイスに生まれ、パリで最後に行き着いたのが、ほとんど目鼻立ちのわからない顔、筋肉の剥げ落ちた胴体、異様に長い手足などの特徴を有するあの印象的な人物彫刻 と書かれていたが、私には目鼻立ちもしっかり見え、筋肉も剥げ落ちていなくて、とても力強く見える。芯がとてもしっかりしている。台座に付く足首が大きいだけで、そのバランスがおもしろい。倒れないための秘策の重りを隠している。でも何と行ってもジャコメッティの指跡の味が心を捉えて素敵。作品を観ていると癒される。私の感覚と似ているなーと・・思う。
2階の展示室にゆっくり降りていくと、学芸員らしき人が近づき「このフロアーはマーグ財団美術館のもので、その美術館では外に展示してあるので、風化しはじめています。」と話してくれた。近づくと確かに風雨に晒されブロンスがまるで泣いているみたいに色調が変わっていたのを目撃してちょっと驚いた。知識に無かった事だった。はるばる外国の美術館の屋外で展示されているこの作品たちを、ここ日本で観る事ができたことは忘れられない。
秋の深まる美術館の外のお茶室で抹茶をいただいた。同席したインド人の女性のカメラマンとちょっと話した。豊田美術館をとてもほめていたことも思い出になった。
静岡県立美術館の館蔵品でブロンズ「横たわる女」(1929年)がある。今回豊田美術館の展覧会にでかけ、エレベーターで3fに行き2つめの部屋でそれを見つけたときはちょっと懐かしいような気持ちになった。今回の展示数は全部で130はあった中の一つである。私はジャコメッティの作品が何故か本能的に大好きで、あの削ぎ落とされた指のタッチの残る像をすごく身近に感じる自分がいる。
昔、私がまだ学生時代に彫刻のモデルをしたことがあった。モデルと言うとすぐ裸婦を想像されてしまうが、残念ながらそんなにスタイルは良いほうじゃなかったので、首から上のモデルだった。大学の彫刻家の卵が作品制作授業のためのモデルだったのだ。部屋の中央に座り、動かないでいることが要求された。そのとき知り合った先輩がその後卒業制作でジャコメッティ風の像をつくっていた。ひと目で気に入り、わがままを言って卒業時にプレゼントしてもらった。その時はまだジャコメッティの名前も知らない私だった。その後美術雑誌でジャコメッティを知ったとき、先輩は時代の先端を行く才能ある人だと感心していたのに、実は真似であったことを知った。でもジャコメッティは私のお気に入りになった。ジャコメッティ (1901-1966) が亡くなってからまだ10年もたっていなかった。
美術手帳の特集「彫刻」ってなんだろう? 2006 ではスイスに生まれ、パリで最後に行き着いたのが、ほとんど目鼻立ちのわからない顔、筋肉の剥げ落ちた胴体、異様に長い手足などの特徴を有するあの印象的な人物彫刻 と書かれていたが、私には目鼻立ちもしっかり見え、筋肉も剥げ落ちていなくて、とても力強く見える。芯がとてもしっかりしている。台座に付く足首が大きいだけで、そのバランスがおもしろい。倒れないための秘策の重りを隠している。でも何と行ってもジャコメッティの指跡の味が心を捉えて素敵。作品を観ていると癒される。私の感覚と似ているなーと・・思う。
2階の展示室にゆっくり降りていくと、学芸員らしき人が近づき「このフロアーはマーグ財団美術館のもので、その美術館では外に展示してあるので、風化しはじめています。」と話してくれた。近づくと確かに風雨に晒されブロンスがまるで泣いているみたいに色調が変わっていたのを目撃してちょっと驚いた。知識に無かった事だった。はるばる外国の美術館の屋外で展示されているこの作品たちを、ここ日本で観る事ができたことは忘れられない。
秋の深まる美術館の外のお茶室で抹茶をいただいた。同席したインド人の女性のカメラマンとちょっと話した。豊田美術館をとてもほめていたことも思い出になった。
アートのなぞなぞ 高橋コレクション展 友の会会員フロアレクチャー受付中
「アートのなぞなぞ 高橋コレクション展」
友の会会員フロアレクチャー受付中!
★日 時 平成30年2月12日(月・振替休) 11:00~ 30分程度 (定員30名程度)
★集合場所 2階 企画展入口
★持ち物 友の会会員証
★受講料 無料ですが、企画展入場券が必要となります。
★締 切 平成30年2月9日(金)
★申込方法 事務局までお電話、Faxにてお申込み下さい。お申込みの際には
レクチャー希望・お名前・会員番号・電話番号をお知らせください。
尚、特別会員様のみ1名同伴可能です。
★お申込み先 友の会事務局(火・木・金在館) TEL・FAX 054-264-0897
Eメール tomonokai@spmoa.shizuoka.shizuoka.jp
友の会会員フロアレクチャー受付中!
★日 時 平成30年2月12日(月・振替休) 11:00~ 30分程度 (定員30名程度)
★集合場所 2階 企画展入口
★持ち物 友の会会員証
★受講料 無料ですが、企画展入場券が必要となります。
★締 切 平成30年2月9日(金)
★申込方法 事務局までお電話、Faxにてお申込み下さい。お申込みの際には
レクチャー希望・お名前・会員番号・電話番号をお知らせください。
尚、特別会員様のみ1名同伴可能です。
★お申込み先 友の会事務局(火・木・金在館) TEL・FAX 054-264-0897
Eメール tomonokai@spmoa.shizuoka.shizuoka.jp
提携美術館展覧会情報
友の会と提携している駿府博物館では12月24日(日)まで
「へんてこテコテコ展」-こどものと学生とホスピタルアート-」を開催中です。
今週末から冬休みになる学校も多いかと思います。
ぜひ、この機会にこどもと学生の作品に足を運んでみませんか?
ホスピタルアートについて友人、家族で観て語りあってみませんか?


「へんてこテコテコ展」-こどものと学生とホスピタルアート-」を開催中です。
今週末から冬休みになる学校も多いかと思います。
ぜひ、この機会にこどもと学生の作品に足を運んでみませんか?
ホスピタルアートについて友人、家族で観て語りあってみませんか?


会員様から
翻訳機能の活躍
リハビリを兼ねて通っている水中ウォーキング。そこで監視のアルバイトの大学生と話すことがあった。「授業で英語の論文を訳すのがあるんだけど、さっぱりわからないんですよ」と言っていた。一ヶ月程たって、またその大学生に出会ったので、気になっていた論文の進み具合とどんな内容なのかを聞いてみた。「まだ三行しかやっていないし、どんな内容かもさっぱり解からんです」と言う。自分の学生時代の英語の授業の苦労を思い出し、いったいどんなレベルなんだろうと興味を持った私はコピーしてもらった。何と本当に訳せない専門用語があり、難しくて訳せなかった。そこで、静岡県立中央図書館に行き、翻訳本が出ていないか、と調べてみたが存在していなかった。
そのとき、パソコンに堪能な知り合いが、パソコン上の翻訳機能のやり方を教えてくれた。論文のタイトルといくつかの情報を入れると、英語の論文そのものにたどり着いた。チャレンジしてみると専門的な用語の論文が1秒も待たないうちに、まったくきれいな日本語に訳されて、パソコン画面に表示されたのだ。そのときの私の感情は・・世の中の進化にびっくりしての複雑な思いだった。
ということは、どんな輸入本も簡単に翻訳できるということだ。
今では苦労なくして翻訳本が出せるということなのか?
何てこった!!
もしかして県立美術館の学芸員の方たちも、この翻訳機能の力を借りてるのだろうか?
図録・論文に役立てているのだろうか??
リハビリを兼ねて通っている水中ウォーキング。そこで監視のアルバイトの大学生と話すことがあった。「授業で英語の論文を訳すのがあるんだけど、さっぱりわからないんですよ」と言っていた。一ヶ月程たって、またその大学生に出会ったので、気になっていた論文の進み具合とどんな内容なのかを聞いてみた。「まだ三行しかやっていないし、どんな内容かもさっぱり解からんです」と言う。自分の学生時代の英語の授業の苦労を思い出し、いったいどんなレベルなんだろうと興味を持った私はコピーしてもらった。何と本当に訳せない専門用語があり、難しくて訳せなかった。そこで、静岡県立中央図書館に行き、翻訳本が出ていないか、と調べてみたが存在していなかった。
そのとき、パソコンに堪能な知り合いが、パソコン上の翻訳機能のやり方を教えてくれた。論文のタイトルといくつかの情報を入れると、英語の論文そのものにたどり着いた。チャレンジしてみると専門的な用語の論文が1秒も待たないうちに、まったくきれいな日本語に訳されて、パソコン画面に表示されたのだ。そのときの私の感情は・・世の中の進化にびっくりしての複雑な思いだった。
ということは、どんな輸入本も簡単に翻訳できるということだ。
今では苦労なくして翻訳本が出せるということなのか?
何てこった!!
もしかして県立美術館の学芸員の方たちも、この翻訳機能の力を借りてるのだろうか?
図録・論文に役立てているのだろうか??
第2回実技講座ご案内
会員様から
「コーヒータイムを楽しむ」
美術館プロムナードですれ違った初老の人が大切に持っている小さいビニール袋から、植物の赤い色が透けて見えた。とってもうれしそうな顔だったので、「何が入っているの?」と話しかけ、そうっと覗く。藪こうじの実だった。幸せ色のオーラの赤だった。近くに住んでいるというので一緒にいた友人とコーヒーをご馳走してもらえることになった。道で出会った人でコーヒーをご馳走してもらう話が進むのがちょっと楽しかった。
用事を済ませて「今から伺います」と連絡して出かけた。玄関に入るとさっきの赤い実は台座の上の陶器の中にぴったり納まっていた。ウェルカムの赤に変身していた。お正月を迎えるばかりの固く美しい赤だ。案内された客間で運ばれてきたコーヒーの器が手作りだと気が付いた。「自分で焼いたカップでご馳走してくださるのね」と聞くとビンゴだった。定年退職後の人との繋がりではじめた陶芸だと言った。退職後は俳句も楽しんでいるとの事。「人との繋がりが今の財産です」と語った。
一緒の友人は、「こういう出会いで人の家におじゃました体験は初めて。」と帰り際に囁いた。藪こうじの実が結んだご縁だった。家に帰って調べた。藪こうじの花言葉は・・「明日への幸福」だった。
美術館プロムナードですれ違った初老の人が大切に持っている小さいビニール袋から、植物の赤い色が透けて見えた。とってもうれしそうな顔だったので、「何が入っているの?」と話しかけ、そうっと覗く。藪こうじの実だった。幸せ色のオーラの赤だった。近くに住んでいるというので一緒にいた友人とコーヒーをご馳走してもらえることになった。道で出会った人でコーヒーをご馳走してもらう話が進むのがちょっと楽しかった。
用事を済ませて「今から伺います」と連絡して出かけた。玄関に入るとさっきの赤い実は台座の上の陶器の中にぴったり納まっていた。ウェルカムの赤に変身していた。お正月を迎えるばかりの固く美しい赤だ。案内された客間で運ばれてきたコーヒーの器が手作りだと気が付いた。「自分で焼いたカップでご馳走してくださるのね」と聞くとビンゴだった。定年退職後の人との繋がりではじめた陶芸だと言った。退職後は俳句も楽しんでいるとの事。「人との繋がりが今の財産です」と語った。
一緒の友人は、「こういう出会いで人の家におじゃました体験は初めて。」と帰り際に囁いた。藪こうじの実が結んだご縁だった。家に帰って調べた。藪こうじの花言葉は・・「明日への幸福」だった。
会員様から情報です
寿桂尼のお墓を訪ねた
寿桂尼のお墓にめぐり合えた。まるで生きている人に会うように、会いたい思いが募って、たどり着いた気がした。そのお墓は私の想像より美しかった。菩提寺は龍雲寺。境内の一角ではなく、本堂裏手の奥の奥にあった。たどり着くまでが大変だった。左側は野菜畑、右側には木々の茂っている雑木林。その間の細い畦の道を進むのだが、50センチもない巾で雑草の生えた濡れた道だったのだ。水路に落ちたら大変なことになる。
寿桂尼・・漢字の持つイメージも響きも美しい。駿河の守護大名今川9代の氏親に15歳で嫁いでいる。時代は下克上。京都の公家中御門宣胤(なかみかどのぶたね)の娘に育った彼女は、公家の持つ荘園を守ってもらう為の手段として今川へ。
「おんな城主直虎」の生き方にも影響を与えたという。また旦那だった氏親の亡くなる2ヶ月前に分国法「今川仮名目録」を制定しているので、寿桂尼の協力があっただろうと想像される。龍雲寺の入り口に黒印の「帰(とつ)ぐ」の意味の旧字体の漢字の説明があった。3センチ四方らしいが、その黒印を実際に使って公文書も出している。
ところで、亡くなって、本来なら氏親の菩提寺の増善寺に葬られたと思うのに・・。「死しても今川の守護たらん」として、今川館の鬼門に葬られることを希望。晩年はそのため龍雲寺で過ごしていたという。
駿府公園に静岡県立美術館を建設しようとしたとき、地中から今川の遺跡が出てきたので、結果として美術館は谷田になった経緯がある。
今川の遺跡はどんなものだったのだろうと考えることも楽しい。2019年は「東海一の弓取り」と称された、今川義元公生誕500年。ゆかりり地に住む私たちに改めて誇りを感じて欲しいと「静岡商工会議所が今川復権宣言」をするという。寿桂尼は天国で今の世を見ているのだろう。聞いてみたいことがたくさんある。
寿桂尼のお墓にめぐり合えた。まるで生きている人に会うように、会いたい思いが募って、たどり着いた気がした。そのお墓は私の想像より美しかった。菩提寺は龍雲寺。境内の一角ではなく、本堂裏手の奥の奥にあった。たどり着くまでが大変だった。左側は野菜畑、右側には木々の茂っている雑木林。その間の細い畦の道を進むのだが、50センチもない巾で雑草の生えた濡れた道だったのだ。水路に落ちたら大変なことになる。
寿桂尼・・漢字の持つイメージも響きも美しい。駿河の守護大名今川9代の氏親に15歳で嫁いでいる。時代は下克上。京都の公家中御門宣胤(なかみかどのぶたね)の娘に育った彼女は、公家の持つ荘園を守ってもらう為の手段として今川へ。
「おんな城主直虎」の生き方にも影響を与えたという。また旦那だった氏親の亡くなる2ヶ月前に分国法「今川仮名目録」を制定しているので、寿桂尼の協力があっただろうと想像される。龍雲寺の入り口に黒印の「帰(とつ)ぐ」の意味の旧字体の漢字の説明があった。3センチ四方らしいが、その黒印を実際に使って公文書も出している。
ところで、亡くなって、本来なら氏親の菩提寺の増善寺に葬られたと思うのに・・。「死しても今川の守護たらん」として、今川館の鬼門に葬られることを希望。晩年はそのため龍雲寺で過ごしていたという。
駿府公園に静岡県立美術館を建設しようとしたとき、地中から今川の遺跡が出てきたので、結果として美術館は谷田になった経緯がある。
今川の遺跡はどんなものだったのだろうと考えることも楽しい。2019年は「東海一の弓取り」と称された、今川義元公生誕500年。ゆかりり地に住む私たちに改めて誇りを感じて欲しいと「静岡商工会議所が今川復権宣言」をするという。寿桂尼は天国で今の世を見ているのだろう。聞いてみたいことがたくさんある。