会員様からの寄稿
産経新聞
「家族がいてもいなくても」 久田恵

新聞のエッセイのタイトルは「家族がいてもいなくても」。大好きでいつも楽しく読んでいる。わくわくしながら久田さんのリアルの文にのめりこむ。「家族がいてもいなくても」というタイトルが凄い立ち位置。家族がいる私だけれど、いない自分を想像して考えるシュミレーションの発想も自然に思わせてくれた。そして自分も家族に縛られない部分でまだまだいろんな体験をしなくちゃとか、家族でいる時間は感謝と共に大切にする体験にしなくてはとエネルギーに変換している。
久田さんは1947年生まれ。信条は「ファンタスティックに生きる」。こんなせりふを堂々と言えるなんて羨ましい。離婚後に子連れで入ったサーカス団での体験をまとめた『サーカス村裏通り』で大宅壮一ノンフィクション賞候補になり、1990年『フィリピーナを愛した男たち』により第21回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。
インターネットで久田さんを検索してみた。素敵な顔立ちには生き様までがきざまれていて自信に満ち光り輝いていた。同じ女として心のキャパの広さを身につけたいと・・エッセイの言葉を道しるべに思って最近の私は生活している。
2017/12/21 528回目なのだと思うが・・その文を読んで見ると、今の自分と今の日本の現状と自分自身の生き様に関係しているなーと思った文があった。『これから団塊の世代が高齢者になっていった時代にどうなるか・・略・・お世話してくれるのを待つのでなくて、自らがどんな介護を受けて どんな老後を暮らして どんなふうにしていくかということを、自分たちが実践してゆく時代に入っているんじゃないかなあと思います』という内容だった。介護の現場で働く人たちのインタビューを続け、どんな思いで働いているのかしら?と目標は100人。2年間インタビューを続けて既に目標を達成していたとある。目標という言葉に・・あっ目標が大切なんだと強く意識した。子育て時代は怪我も無く大きくしなくてはと目標があった。でもその後はっきりした目標を考えないで生きてきた。生きるだけなら出来たのだ。人を裏切らないでいるとかの漠然とした生き様はあったが、はっきり目標があれば知恵を出して乗り越えられるだろう。
久田恵さんにいつか逢えるといいな。逢いたい。
「家族がいてもいなくても」 久田恵
新聞のエッセイのタイトルは「家族がいてもいなくても」。大好きでいつも楽しく読んでいる。わくわくしながら久田さんのリアルの文にのめりこむ。「家族がいてもいなくても」というタイトルが凄い立ち位置。家族がいる私だけれど、いない自分を想像して考えるシュミレーションの発想も自然に思わせてくれた。そして自分も家族に縛られない部分でまだまだいろんな体験をしなくちゃとか、家族でいる時間は感謝と共に大切にする体験にしなくてはとエネルギーに変換している。
久田さんは1947年生まれ。信条は「ファンタスティックに生きる」。こんなせりふを堂々と言えるなんて羨ましい。離婚後に子連れで入ったサーカス団での体験をまとめた『サーカス村裏通り』で大宅壮一ノンフィクション賞候補になり、1990年『フィリピーナを愛した男たち』により第21回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。
インターネットで久田さんを検索してみた。素敵な顔立ちには生き様までがきざまれていて自信に満ち光り輝いていた。同じ女として心のキャパの広さを身につけたいと・・エッセイの言葉を道しるべに思って最近の私は生活している。
2017/12/21 528回目なのだと思うが・・その文を読んで見ると、今の自分と今の日本の現状と自分自身の生き様に関係しているなーと思った文があった。『これから団塊の世代が高齢者になっていった時代にどうなるか・・略・・お世話してくれるのを待つのでなくて、自らがどんな介護を受けて どんな老後を暮らして どんなふうにしていくかということを、自分たちが実践してゆく時代に入っているんじゃないかなあと思います』という内容だった。介護の現場で働く人たちのインタビューを続け、どんな思いで働いているのかしら?と目標は100人。2年間インタビューを続けて既に目標を達成していたとある。目標という言葉に・・あっ目標が大切なんだと強く意識した。子育て時代は怪我も無く大きくしなくてはと目標があった。でもその後はっきりした目標を考えないで生きてきた。生きるだけなら出来たのだ。人を裏切らないでいるとかの漠然とした生き様はあったが、はっきり目標があれば知恵を出して乗り越えられるだろう。
久田恵さんにいつか逢えるといいな。逢いたい。
友の会会員向けフロアレクチャー
『屏風爛漫』展2019.4.2~5.6 友の会レクチャー(4/27)
屏風は中国発祥で大陸から朝鮮を経由して日本に伝わったとされるが当時の中国製の屏風は日本で観ることは出来ないとのこと。
柱中心でふすまや障子等の建具を多く使う日本建築は壁が少ないため、仕切りや風よけの役目も果たす屏風が独自に発展し易かったのか。
折り曲げることで自立できる屏風は、折り曲げ方や一対の屏風の並べ方に変化をつけて自由に楽しむ余地を与えてくれる。
石上学芸員さんの解説でこれまで知らなかった屏風の特徴や楽しみ方を味わいながら巡ることができた。
狩野探幽作『一ノ谷合戦・二度之懸図屏風』…屏風の右側には大急ぎで馬を走らす武者…屏風の折れ目の山が二つ重なりその先は見えない…左へ移動していくと誰かに刀を振りかざす武者二人…さらに左へ進むと敵と戦う若武者…物語のクライマックスへと誘う屏風の魅力がダイレクトに感じ取れた。

屏風は中国発祥で大陸から朝鮮を経由して日本に伝わったとされるが当時の中国製の屏風は日本で観ることは出来ないとのこと。
柱中心でふすまや障子等の建具を多く使う日本建築は壁が少ないため、仕切りや風よけの役目も果たす屏風が独自に発展し易かったのか。
折り曲げることで自立できる屏風は、折り曲げ方や一対の屏風の並べ方に変化をつけて自由に楽しむ余地を与えてくれる。
石上学芸員さんの解説でこれまで知らなかった屏風の特徴や楽しみ方を味わいながら巡ることができた。
狩野探幽作『一ノ谷合戦・二度之懸図屏風』…屏風の右側には大急ぎで馬を走らす武者…屏風の折れ目の山が二つ重なりその先は見えない…左へ移動していくと誰かに刀を振りかざす武者二人…さらに左へ進むと敵と戦う若武者…物語のクライマックスへと誘う屏風の魅力がダイレクトに感じ取れた。
