会員様からの寄稿

バレンタインの日に水野彰夫氏語る
会員様からの寄稿
34年間アメリカで暮らした水野さん。「日本はチョコレートを男の人が貰うけどアメリカのバレンタインでは奥さんに花束をあげる・・だからこれから奥さんと美味しい刺身を伊豆土肥に食べに行くんです」とまるでそれが水野さん流のプレゼントだよと匂わせた。にっこり笑った奥さんが羨ましかった。
水野さんは元野球選手。昭和49年法政大学に江川卓と一緒に入学した人だ。小学校6年ですでに体が大きくて、同級生より頭一つ分大きかった。親の進めもあって昭和46年静岡高校へ。入学した当時野球部は弱かった。前年16対0で高松商業に敗れる「ボロ負けの戦歴」だった・・そこで時代の先駆けで静岡高校では県内から優れた野球少年を集めた。その中に水野氏がいたと言う訳だ。静高2年生の秋、負け試合を経験する。あとが無い・・と3年になったとき全員が本気100倍の集中力で夏の甲子園に突入。そして・・何と準優勝したのだった。マスコミが大騒ぎ。静岡の高校野球ファンの記憶に残る「静岡×広島商」の戦いだった。
その後静岡高校のメンバーは江川卓などと共に法政大学に入学。花の49年組と呼ばれている。そして怒涛の春・夏・春・夏・春の五連勝がはじまった。
大学では授業に出ただけで野球部の先輩に怒られ、風呂場で水をかけられたり叩かれたりが日常茶飯事にあったそうだ。自分のイメージしていた大学生活とのギャップ。また肩を痛めたり、地元でちやほやされたりの生活の中・・〈本当の自分の力ってどんなものだろう〉と思ったとき、大学を辞めることを決心する。新聞社の知り合いの伝(つて)で、結局アメリカのワトソンビル(カリフォルニア州)に渡り果物を日本に送る仕事に就く。・・40度近いアリゾナの畑の行き止まりの道で立ち往生した。脱水症状で顔や手の皮膚がピリピリ音をたてる中、レモンをかじりコヨーテの声を聞いて助けられた体験。また湾岸戦争終了の2ヶ月後、イスラエルに仕入れに行き戦争のつめ跡のリアルな風景を見.る体験。そしてイスラエル産スウィーティーという緑色の皮の柑橘を買い入れ、日本で流行らせたことも。
7年前日本に帰って高校の野球少年にフリーの立位置で指導をはじめている。言葉かけで技術がより良く変わっていくポイントが分かると語った。
バレンタインの日、大きな体で、やさしい凄い人に会えて嬉しかった。


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2019年06月28日 Posted by県美友の会 at 14:53 │トピックス