会員様からの寄稿
花泥棒

「花泥棒のコーヒーは美味しいよ」と久しぶりに会った知り合いが言った。「花泥棒・・懐かしい」と思わず口に出た。下北沢で入ったお店の匂いが蘇って心がワープした。
静岡県生まれの私も3人の孫を持つ年になってしまった。もう《東京へ家出したい》と思わないが、子供を育てている間でも東京への憧れがあった。うじうじ生きていた。「東京は生き馬の目を抜くところ」と話す母親に育てられ刷り込まれ、勇気が無かった私だった。そんな自分の過去の感情を話すと「そういうことを含めて才能が無かったんじゃない」と知り合いにやんわり一喝された。
息子が18歳のとき、私の目の前で両手を合わせ「東京へ行かせてください」と言った。そのしぐさは真剣そのもの。飛び立とうとしている心根に勿論何故かワクワクしてオッケーした。主人は「男が音楽なんかで食っていけるわけがないから」と言い放って無視した。でも私はその後東京で暮らしていくお金を送るために仕事をした。息子の一人応援団の私は心配やら喜びやら一言では語れない感情で仕事をこなして6年程過ぎた。やりたいことを自分で選んで、さらっと飛び立った
子供が羨ましかった。そんな息子を応援することが幸せな私だった。
ある日突然電話があって「もうお金送ってくれなくても大丈夫だから」と受話器の向こうからの声が聞こえた。その言葉にいい子だなーと思う私がいた。黙っていれはまだ黙々と送金するのは嫌じゃない。でも何とか食べていけることができるようになったのだとホッとした。同時に諦めてしまっている自分の夢の破片が見えて涙が流れた。
花泥棒という言葉の響きが好きだ。フランス風のイメージが沸きあがる・・・花が綺麗で盗みたいと思うほどの花が人生の中で一度だけあった。
寒い冬の山道の脇に咲いていたアジサイ。梅雨の頃のそのままの綺麗な形でまだ咲いていた。強い風にあたらない位置なので、形がそのまま残ることが出来たのだろう。パウル・クレーの《ポリフォニーに囲まれた白》の中の複雑な赤紫の色だったのだ。寒い冷気の中、自然の中でドライフラワーになって生まれた色なのだ。
この環境の中でも、素敵な色になる方法をまだ模索したいと花を見ながら思った私自身だった。
「花泥棒のコーヒーは美味しいよ」と久しぶりに会った知り合いが言った。「花泥棒・・懐かしい」と思わず口に出た。下北沢で入ったお店の匂いが蘇って心がワープした。
静岡県生まれの私も3人の孫を持つ年になってしまった。もう《東京へ家出したい》と思わないが、子供を育てている間でも東京への憧れがあった。うじうじ生きていた。「東京は生き馬の目を抜くところ」と話す母親に育てられ刷り込まれ、勇気が無かった私だった。そんな自分の過去の感情を話すと「そういうことを含めて才能が無かったんじゃない」と知り合いにやんわり一喝された。
息子が18歳のとき、私の目の前で両手を合わせ「東京へ行かせてください」と言った。そのしぐさは真剣そのもの。飛び立とうとしている心根に勿論何故かワクワクしてオッケーした。主人は「男が音楽なんかで食っていけるわけがないから」と言い放って無視した。でも私はその後東京で暮らしていくお金を送るために仕事をした。息子の一人応援団の私は心配やら喜びやら一言では語れない感情で仕事をこなして6年程過ぎた。やりたいことを自分で選んで、さらっと飛び立った
子供が羨ましかった。そんな息子を応援することが幸せな私だった。
ある日突然電話があって「もうお金送ってくれなくても大丈夫だから」と受話器の向こうからの声が聞こえた。その言葉にいい子だなーと思う私がいた。黙っていれはまだ黙々と送金するのは嫌じゃない。でも何とか食べていけることができるようになったのだとホッとした。同時に諦めてしまっている自分の夢の破片が見えて涙が流れた。
花泥棒という言葉の響きが好きだ。フランス風のイメージが沸きあがる・・・花が綺麗で盗みたいと思うほどの花が人生の中で一度だけあった。
寒い冬の山道の脇に咲いていたアジサイ。梅雨の頃のそのままの綺麗な形でまだ咲いていた。強い風にあたらない位置なので、形がそのまま残ることが出来たのだろう。パウル・クレーの《ポリフォニーに囲まれた白》の中の複雑な赤紫の色だったのだ。寒い冷気の中、自然の中でドライフラワーになって生まれた色なのだ。
この環境の中でも、素敵な色になる方法をまだ模索したいと花を見ながら思った私自身だった。